信長・秀吉・家康のお話
皆さん、こんにちは。
さて、古今東西の歴史から、
「勉強家」が如何に有利かというお話をするとき、
日本人に一番馴染みの深い、三英傑から入っていきましょう。
信長。
この人は、例えば、嫌いな先生の授業は全く出席しない、
学校に反抗しまくるような「不良」の人でも知っていますね。
信長自身が、若き日は「超不良」だったから、
親近感が湧くのかも知れません。
秀吉。
この人は、日本史で、源頼朝と並んで
最も出世した人ですね。
晩年は呆けてしまい、「成功したとしても、あんな風にはなりたくない」
と評価されています。
家康。
この人は、過去500年の中で、最も成功した日本人ですね。
彼が作った幕府は、260年続きましたし、子孫は今も健在ですから。
この三人を比較したとき、
最も「勉強家」であったのは、家康だと言われています。
「学ぶ」の語源は「真似る」らしいですが、
家康は、様々な先人や偉人を研究して「真似る」のが上手かった。
政治のやり方などは、源頼朝や毛利元就を研究し、
戦争のやり方は、武田信玄に学んだと言われています。
そんな家康は、中国の「帝王学」の教科書である
「貞観政要」の熱心な愛読者だったそうです。
当時の中国の書物は漢文で書かれてあったので、
恐らく、原文のまま読み込んでいたのでしょう。
因みに、この「貞観政要」は
最近でも、ある生命保険会社の社長が、
「社長や管理職の人は、是非読んでおくべき本だ」
と発言したことで、大ベストセラーになっています。
家康はこの本の他にも、漢方に関する本を
丸暗記するまで読み込んでいます。
さて、家康の勉強の成果は、どう出たか?
家康は、かなりの高齢になっても健康で体力がありました。
秀吉が、晩年は呆けて老衰で弱っていき、
子どもも一人しかできなかったのに対し、
家康は、高齢でありながら、「関ケ原の戦い」や
「大阪冬の陣・夏の陣」を現役で戦いました。
そして、数えきれないほどの側室を持ち
子ども(つまり、後継者)が沢山いました。
これは、漢方の勉強が役に立っていたのでしょう。
そして、家康が天下を取ったとき、
その経済力はというと。
信長の2倍、秀吉の1.6倍の財力があったそうです。
秀吉の経済力は、当時、アジアで一番と言われていましたから、
家康の財力の凄さは、想像できます。
これは、「貞観政要」の影響が大きかったと言って
差支えないと思います。
三英傑は、いずれも天才的な人物です。
しかし、最後は、「学力」がモノを言ったのです。
(長くなりました。)